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五井野正博士の世界

『雨中の大橋』の中の日本文字の解読M

14本のひまわりは結婚の花

花咲く果樹園の連作の数も14

 ゴッホがパリ時代に描いた『花咲く梅の木』(図@)と同じようなモチーフの果樹園の連作をゴッホはアルルの地で最初に、なんと14点という数字にして描いた。図A・図B・図C)
「僕は果樹園(venger)の絵を十点描いた。小さな3枚の習作と苦労して描いた“桜桃の木(dun cenisier)”の大作を除いての数だ。……(中略)これらの果樹園は『ラングレー橋』(アルルの跳ね橋)と同じく最初の連作となる」(書簡478 アルル1888年4月20日) つまり、ゴッホは10点に小さな3点と大作という表現で、14点の果樹園の連作を描いて、連作の数に対しても14という数字に特別にこだわっていたことが判る。 さらに、ここで最も重要なことはアルルに来て最初に手がけた連作が『果樹園』と『ラングレー橋』(図D)だったということである。
 将にゴッホがパリ時代に描いた日本文字のあるジャポネズリの絵画、『花咲く梅の木』の果樹園と『雨中の大橋』(図E)の橋というモチーフを、今度は浮世絵の写しではなく、日本に見立てたアルルに於いて最初に連作として描いたのである。
 とすれば、果樹園の連作の枚数14点は、『花咲く梅の木』の絵を当然意識した、何かの関連した数だという事が分かる。

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 そこで『花咲く梅の木』(図@)の構図と画中の左にある朱色の短冊の中に描かれている作者名(図F)を再一度思い起こして欲しい。
つまり『花咲く梅の木』は、梅の果樹園の図であり、絵の中の短冊の文字は漢数字の「十」の下に「三」が「の」と読めるひらがなに重ねられて「十三の」と解読し、その「十三の」の上下の漢字、大と錦を合わせて「十三の大錦」、つまり「十三の大きな浮世絵」と判読してきた。
その証拠に、ゴッホの友人のベルナールがゴッホを追悼した文章で、
「ヴィンセントがアルルから最初に送ってきた作品は、この東洋芸術から生まれた忠実な娘であった。浮世絵で見覚えた手法と題材を選ぶことさえした。花咲く木々を描くとすれば、それは東京の芸術家達を想いながら描いたのだ。」
(ゴッホの手紙ーベルナール宛、序文1911年) と述べていることからも証明できる。
“花咲く木々”は『果樹園』の事だが、ここでベルナールが東京の芸術家達と言ったのは、この文章が1911年に発刊され既に江戸は東京になっていたからで、『果樹園』が『花咲く梅の木』をベースにして浮世絵の技法と題材から描かれていた事が、この文章でも明らかにされている。

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 ゆえに“十点と小さな三点の習作”という表現が『花咲く梅の木』の短冊の中の文字「十三の大錦」の「十の三」という表現と、「大錦」つまり「大きな浮世絵」が“浮世絵の手法と題材の絵”という表現と全くピッタリ当てはまってくるのは偶然でなくなる。
しかしゴッホが「十点と小さな三点の習作」に大作を加えて14点の果樹園にしたのと、「十三の大錦」の短冊が作者名を表す為に、十三が数字の13ではなく「大錦」を描いた人、すなわちゴッホでなければならなくなる。
そこで「十三の大錦」を「ゴッホの大きな浮世絵」とすると、結局は「ゴッホ画」という意味になる事は前にも説明してきた。
そしてゴッホが13点に大作を加えて14点にしたのは、まるで「十三の大錦」にシーンの大錦を加えたかのようであり、それは同じようにして13本の向日葵(図G)を描いた後に、14本の向日葵(図H)を描いたゴッホの意図と全く同じともいえよう。


向日葵の15輪の意味

 しかし問題はゴッホが書簡で14本の向日葵と記述していながら、何故13本の向日葵に2輪の花を加えた15輪の花にしたのかである。
つまり、14本の向日葵をゴッホが同じ効果として描いたマルメロとレモンの静物画(図I)に描かれた、籠の中の13個と外の果物2個の計15個、すなわち13+2が示す意図は何なのかである。
 そこでもう一度、『雨中の大橋』(図E)の絵を振り返ってみよう。
 何故なら、右上の朱色の短冊の中に描かれている「妻(妾)ケイ夫13∪+1」(図J)の文字と『雨中の大橋』に描かれている傘を持った二人の女性を一人の男が追う姿こそ、この謎を解く鍵となっているからだ。 つまりケイはゴッホの妻となることを固く拒否した女性で、特にアムステルダムでは、ケイの両親もゴッホを冷たくあしらって、ゴッホの愛を殺してしまった程である。
 ゴッホが元は伝道師であったから、キリスト教で最も大事な愛の死はすなわち伝道師の死ともなる。
「アムステルダムから戻って来た時、あんなに強く真実で、正直な僕の愛情が文字どおり殺されたのを感じた。だが死ののちには復活がある。Resurgam〔ふたたび生きなん〕。それからぼくはクリスティン(通称シーン)に出会った。躊躇や時間延ばしの余裕はなかった。僕は実行しなければならない。もし彼女と結婚しないなら、彼女をひとりにするほうが親切だったろう。」(書簡193 ハーグ 1882年5月)
 ここでゴッホはケイによって愛が殺されたと表現している。
 つまり、ゴッホの代数字である13はケイを妻にしようとして、その結果、愛の殉教死となったことを表現していた13だったのである。
 しかもケイに残酷にも「絶対にダメです」と釘をさされての愛の死だった。
 そこで夫13の下に書かれている「∪+1」。
 それはシーンの氏名の頭文字、「C・H」にもなっていることから、13∪+1=14はゴッホとシーンが一緒になる、つまりゴッホとシーンとの結婚を意味し、ゴッホは再び愛の世界に復活する。
 つまり短冊文字の「夫13∪+1」は「夫はシーンと結婚しているゴッホ」という意味になるが、するとケイはゴッホの妻にはなれない。
 しかし、ケイの文字の上に「妻」だか「妾」だか分からない漢字を書いて「夫」に対応させているのは、ケイを妻にしようとして殉教(13)した事が原因でシーンと結婚したということをこの短冊の中の文字で表現して、さらに次の意味と重ねていたからであろう。
 つまり「妻ケイ」の文字にもとれそうなのは、ゴッホの心の中ではやはりケイを妻にしたかったという願望がここに表現されていると見れるからである。
 次に「妾ケイ」にしてもゴッホは西欧人、それもかつて伝道師だった為に、妾という漢字をはっきり書くのをためらったと思えるからだ。
 何故なら「妾」は欧米では妻帯者の愛人に当たるが、妻を持って愛人も持つというのは、キリスト教社会に於いて、道徳上許されるものではない。
 しかし当時の日本で妾を持つことは許されていたというより、むしろ妾を多く持つこと自体、かえって男の美徳に繋がっていたのである。
 ゆえに、ゴッホは日本の道徳観ならば、シーンを娼婦としてではなく、芸術のモデル(浮世絵に描かれた芸者)として妻に迎え入れ、更にケイを同時に愛し続けられると考えたはずである。
 すなわちゴッホにとってケイとシーンは運命的な一体の存在なのだ。
 つまり『雨中の大橋』の絵の中で、橋の上に描かれた二人の女性を追う男は13で表現されるところの芸術に殉教したゴッホが、別れたシーンや「絶対にダメです」と言ってゴッホから逃げたケイをなおも心の中で追い続けている姿とも取れるのである。
 すなわち、13をゴッホとすれば+2は橋の上の二人の女性ケイとシーンになるのである。


黄色い太陽は日本の自然神

 書簡478で果樹園の連作は14点になっていたが、 「はるかプロヴァンス地方の太陽の下で、灼熱の果樹園を魔術的な刺繍に変えて、あるいは堅紙を新鮮な色模様に変えて無数の絵画を制作するその鼓動。……(中略)彼が15点の花咲く小さな果樹園を描いた後に、今度はそれを30点にしようとするのであった。」(ゴッホの手紙 ベルナール宛 1893年の序文)
 と、ベルナールはゴッホが果樹園の連作の数について15点を基本にして描いていたと記述する。
 つまり、ここでも最終的にケイを加えた15の数字が意識されていると言えよう。
 その後ゴッホは、『種まく人』(図K)を描き、さらに花束の絵、すなわちヒマワリの絵を描き始める。
「まるで自分が花のように自然の中に生きる。こんな単純な日本人が我々に教えてくれるものこそ、まずは真の宗教ではないだろうか」
(書簡542 アルル1888年9月)
と、13本と14本の向日葵を描いている最中に、この様な手紙をテオに送っている。
 ここに教会の道徳観では許されないゴッホの思い、すなわちシーンとケイへの想いをゴッホは日本の自然的宗教観の中に心の救いを求めていた事が分かるのである。
 それはミレーの絵画の背景に度々描かれている教会をゴッホは黄色い太陽に変えた事でも理解出来る。
 つまり、ゴッホにとって黄色は日本を表現する色であり、太陽は自然の神、すなわち自然の宗教を意味していた。
 その黄色い太陽に顔を常に向けて精一杯咲く太陽の花こそ黄色い向日葵だったのである。 
 ゴッホが「まるで自分が花のように」と詩的な表現をとっている為に、この言葉の現実的な意味を考えないがちになるが、ゴッホは自分の目で見える物しか描かないという非常に現実的な人である事を考慮すると、ゴッホに例えたこの表現ピッタリの花と言えば、芸術に殉教したゴッホを表現する13本の向日葵であることが皆さんにも十分にわかっていただけると思う。
 そして、ゴッホは遂にゴーガンがアルルにやって来た10月下旬に、あの有名な大木のある『種まく人』(図L)を描くのだが、前作の絵には無かった『花咲く梅の木』の大木をこの絵の前面に描くのである。


              
五井野 正 (ごいの ただし) 科学者・芸術家
ウィッピー総合研究所 所長 / ロシア国立芸術アカデミー名誉正会員
スペイン王立薬学アカデミー会員 / アルメニア国立科学アカデミー会員
フランス芸術文化勲章受章
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